坂本かずゆきのこれまでのあゆみ(略歴)を紹介します。坂本かずゆきがこれまでの地域活動を通して感じた「住民の方々のすばらしい意見」を、少しでも多く吸い上げ、地域一体となった取り組みに、ぜひご期待ください。
幼少時代
昭和38年6月10日、竜王町(現在の甲斐市)富竹新田に生まれました。一人っ子で大切に育てられたので、甘えん坊な「おばあちゃん子」でした。いつもネコと遊んでいた記憶があります。
少年時代
近所の三井さんがスポーツ少年団の監督をしていた関係で、小学2年生から野球を始めました。毎日が夢中で、今となってはいい思い出です。いま思うと、あんりセンスはなかったのかな〜?
中学時代
あまり勉強はしなかった?というよりも、できなかったかなぁ? もちろん野球を続けるつもりでしたが、坊主頭になるのがイヤで、あまり練習にも参加しませんでした・・・。また、そのころから先輩の影響でアコースティックギターを始め、友人らと「五月雨:さみだれ」というバンドを結成し、学園祭でコンサートを開くほどでした。自分ではギターの腕前はプロ級だと思っていましたが、唄の方はヘタだったようです。「かぐや姫」や「風」などのコピーバンドで、「22才の別れ」「神田川」などを得意としていました。今では暗いバンドのイメージですが、当時は「イカシタ!バンド」と本人たちは思っていました。
高校時代
中学時代の「ギター狂い」がたたって、甲府西高にすべり込みセーフでした。高校野球で甲子園なんて夢もありましたが、足の故障で無念のリタイヤ。代わりに「軽音楽部」に入部してバンド活動をしました。「松山千春」や「長渕剛」などのコピーをして、学園祭で発表しました。当時は体育館が一杯になった?と記憶しています。
浪人時代
進学か?就職か?迷っていたこともあり、自分の行きたい大学はすべて落ち、浪人の身となりました。本人はあまり気にもせず、東京の予備校へ通うことにしました。東京への憧れもあったのかもしれません? 志望は「文学部史学科」、「日本史学」を学びたかったので、この一年間は人生の中で一番勉強したと思います。浪人なのであたりまえですが・・・。
大学時代
京都で日本史を勉強したくてR大学も受験しました。幸運にも受かりましたが、「日本史学」でなく「西洋史学」だったため入学を断念。(大学が渋谷にあったこともあり)「国学院大学文学部・史学科」に入学することにしました。大学では中世史、中でも郷土の英雄『武田信玄』のことを、一生懸命勉強しました。サークルは「ソフトボール同好会」で、野球とソフトボールとお酒?に熱中、アルバイトは「とんかつ屋さん」で3年間しました。楽しい大学生活が送れたのも、両親の温かい仕送りのおかげだったと感謝しています。
会社員時代
卒業後、そのまま東京で就職してもよかったのですが、「山梨に帰りたい」という思いから、地元の旅行会社に就職することにしました。毎日が勉強で、そこで学んだことは、今の私の人格を非常に左右するものになったと思います。「人前で話すこと」「人を敬う気持ち」「人の身になって考えること」など、多くのことを学びました。今、振り返ると、本当に感謝したい気持ちです。
現在
以前から独立志向も強かったこともあり、平成8年には独立して園芸関係の仕事を始めました。毎日、花の美しさを知ることで「自然の尊さ」を感じ、植物とふれあうことで「心にゆとり」ができたため、富竹新田3区の体育委員、土木協力委員、甲斐市消防団竜王分団1分団3部班長など、また竜王東小学校のPTA会長など、一生懸命に地域の活動にも取り組んで現在に至っています。










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